「私が鐘ヶ江監督の映画を好きになったのって、答えじゃなくて問いをくれるからなのね」
「勿論今は、鐘ヶ江さんのこと人として好きだし尊敬してるけど、初めに何作か観たときは鐘ヶ江さん本人のことなんて全然関係なくて、なんか、観終わった後に、自分にとって大切なものって何だろうとか、いま一番会いたい人って誰だろうとか、なんかそういう問いみたいなものが頭に残る感じがしたの。今の時代の生き方はこれ、みたいな答えを言いたがる人って多いけど、鐘ヶ江作品って、私は答えを知りたいっていうより自分で考えたい人間なんだって気づかせてくれたっていうか」
「今ではもう常識っぽくなっちゃったけど、登録者とかフォロワーがある程度いればあなたの投稿に広告つくようになりますよーって仕組みって、とんでもなくない?いくら老害とか古いとか言われようと、私はずっと気持ち悪い。だって、影響力があるとか有名だとかっていうのはあくまで“状態”なわけ。中身じゃない。再生回数が多いっていうのはその人の状態で、大切なのはどんな中身が再生されてるか、でしょう」
「確かに、誰でもどんなことでも発信できるようになったのはすごいことだと思うよ。古いしきたりやルールがなくなって既得権益が揺るがされて・・・爽快ですらある。でもそれって、誰からもどんなことも受信しちゃうってことなんだよね。発信はすっごく多様化して誰でも色んな方法を学べるけど、受信するときに気をつけるべきことって全然学べない。古いルールはなくなったけど、新しいルールは追いついてない」
「たぶん、今までの、有名になるだけじゃ対価が発生しないっていうのは、一つの秩序でもあったんだと思う。大きな音を出すだけじゃダメ。“状態”を整えるだけじゃダメ。むしろ注目が集まる状態にする前に中身の品質をきちんとしましょうっていう、ある種当たり前の秩序」
「で、それは多分ね、受け手にとっても大切な秩序だったんだと思う。創作者の“状態″を気にしないで創作物っていう“中身”を楽しむための秩序」
「問題なのが問いより答えを持っている人のほうが、どうしても状態が整って見えるってところですわ。わかる?」
「あんたが考えてることって多分、だいぶざっくり言っちゃえば、この世界とどう向き合うかって話なんだよ」
「おかしな等号だらけの世界に対して、自分はどういう判断基準を持つのかっていう話」
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