悲しい。つらい。こんな思いをするなんて、私ってなんて不幸なんだろう。そうやって悲劇のヒロインを気取るのは、その行為が私にある種の快感を与えてくれるからだ。自己憐憫は麻薬に似ている。繰り返していくうちに、依存度がどんどん増していく。もっと私に優しくして。もっと。もっと。
「石黒くんに春は来ない」
今回読んだ「どうぞ愛をお叫びください」は、爽やかさを推した一冊だった。ストーリーは、男子高校生4人がゲーム実況をしてYoutuberとして活躍していく、というもの。主人公の男の子はおとなしめな子、そんな子がバスケ部の派手な男子2人と、とにかく顔がいい1つ上の先輩と組んで、ゲーム実況をする。気を遣ってばかりいる自分の不器用さや、他の3人と比べて自分を惨めに思う寂しい気持ち、そういう、喉につっかえたような心情の描写、がやっぱりすごく好きだった。どんなに売れてる本でも、文体が合わないものというのはやっぱりあって、でも、武田綾乃さんの文章はものすごく好み。こういう作家さんに出会えると本当にうれしい。
そんな感じで今回も青春!を感じたけど、予想外に考えさせられることがある本でもあった。彼らは最終的に人気Youtuberになるけれど、最初のほうの動画再生回数は2桁。数字を伸ばすためにいろいろと試行錯誤をしていく、そんな中で、「中身で判断しろというのは作り手のエゴだ、中身ももちろん大事だけど、どうやって注目を得るかを考えるのも必要だ」、というようなシーンがあった。この本には私のような意固地な女の子が出てきて、彼女は、「私は自分の好きなことしかしない、自分の作品で評価されるのはいいけど、自分が消費されるのはごめんだ」、と怒る。私もこの子のように、例えば自分の好きなものが、望まない形で引っ張られることにすごく嫌な気持ちを抱いてしまうタイプ、安っぽい文言をつけられて、そんなのじゃないのに、といったものに仕立て上げられると、ぞわぞわする(「そんなの」も自分が勝手に作り上げたエゴの塊みたいなイメージだけど)。でも、この本の主人公は、作り手側。普段Youtubeを観る側の私には見えない世界が描かれていた。
主人公の男の子は、編集が上手い。でも再生回数は伸びない。上手いのに、認められてない、それに腹が立った幼馴染みのバスケ部の子は、どうしても彼の編集を多くの人に観てもらいたい、とある手段をとる。これは、ずるいだろうか。主人公は案の定怒るんだけど、自分の望まないアピールの仕方、というものはいつも悪なんだろうか。読んでてそれをすごく考えた。
今「イカゲーム」が流行ってて、これもそもそも観よう、という気持ち、にさせる売り出し方があったから、大勢が観てるわけで、もちろんハマらなかったり、嫌いな人もいるだろうけど、でもそれでも結果として注目を集めてる。いいドラマ、映画は観られるべき。いい音楽は聴かれるべき。いい本は読まれるべき。売り出し方が気に入らなくても、埋もれるよりは、きっといい。意固地な女の子も、最後は素直になるし、意地悪な私も、少しは頭が柔らかくなった、気がする。途中、「数千人だけで独占できてるのがうれしいから流行らないでほしい」とか、流行り出すと「遠くにいっちゃいましたね」、なんてコメントがつくシーンもあるんだけど、でもそれも観てる側の感覚で、作ってる側は変わらないスタンスで動画を撮り続けてる。何十時間もかけた編集、頑張った撮影、それが誰かに認められる、というのは作ってる側からすると宝で、それを観てる側があーだこーだ言うのは、恐ろしいエゴだな、と思った。作品を作る側もエゴの塊だ、って文章もあったけど、受け取る側の私からすると、いろいろ意見を言うのは、とにかく本当に身勝手である、と、自分の言動を振り返って、改めて考えたりした(Avrilのgirlfriendが流行った時に感じた、あの感覚とか)。
武田綾乃さんの本だから、という理由だけで手に取ったこの本は、最近考えてたあれこれに対する答えのヒントをくれることになった。相変わらず自分は意地悪だなと思うけど、違う視点が加わったのは、よかったなと思う。「イカゲーム」、一昨日友だちに熱弁したら、案の定ハマってくれてうれしい。私は067のジャージを買うので、彼女には240を買ってもらおうと思う。
(今日のタイトル: anxiety in real time/The Maine)
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