i told myself that i wouldn't be scared


「フリーガイ」を観た。この映画は、私が最近(というよりずっとかも)考えてることに、すごくぴたりとハマったので、映画の内容を交えながら、決意表明?をします。





映画の主人公はガイという男性。彼は銀行員として、毎日に満足しながら過ごしていたんだけど、ある時、自分がいるのはゲームの世界で、さらに自分が取るに足らないモブキャラとして設定されていたAIであることに気づく。そんなガイが、自分の価値に気づき、世界を救う正義の味方として立ち上がる。




モブキャラ、というのは主人公以外のその他大勢を指す言葉(mob=群衆、群れ、らしいです。フラッシュモブのモブもこれだよね)。いわゆる背景にしかならない人。この映画だと、モブキャラは殴られ車にはねられ殺される存在でしかない。そして彼らは、それが当たり前で通常だと思ってるから、何も思わない。殴られはねられ殺されて当然。毎日同じ繰り返し。輝き、目立つのはヒーローだけ。でも、ある時、銀行強盗から奪ったサングラスをかけると、世界がまるで違って見える。何もかもが自分中心で回っていく。そこでガイは気づく、「僕が今まで生きていた人生は偽物だった、これが本物だ」、と。






この映画のキャッチコピーは、「主人公になりたい、すべてのただの人(フリーガイ)へ」。これだけで泣ける笑。映画の中に、自分の人生の傍観者である必要はない、というセリフがありました。私はいつも自分の外側と内側が別人格のような気がする、って書いたけど、それは本当に文字どおり傍観していたのかも、と思った。ただ眺めて、何かが起こるのを待ってる感じ。ガイと違うのは、私はAIでプログラミングされた存在ではなく、きちんと自分の意志で生きてるところ。でも、いつも何かを見てるだけというか、任せてるというか、でも意志はあるから、眺めながらも思う、もっとちゃんと人生を生きたいな、と。傍観者ではなく、メインキャラクターになりたい、と思ってる、でもどこかで自分はそういうタイプの人間じゃないとか、そういう気持ちもある。だから思い切り生きられない部分もあるし、逃げてしまうこともある。でも自分の人生の主人公って、当たり前だけど自分しかいなくて、それをこの映画がすごくわかりやすく教えてくれました。







ガイが物語の中でどんどんレベルアップするシーンがあるんだけど、現実の世界もゲームと同じなのかも、というか、同じように考えれば楽しいのかも。日々を頑張って自分のレベルを上げるぞ!と思って生きるとか。「失敗した、ああもう終わりだ」、ではなく、「次はクリアできるようにもう一回やってみよう」、という思考に変える、とか。実際ゲームを使ってそういう教育をしている海外の学校もあるみたいです(高校生の英語の長文問題で読んだ笑)。そう思ったらなんだか頑張れそうだよね。







私はよくyoutubeで、manifestationと検索して動画を見る、というか聞きながら家事をしたりするんですが(お気に入りはnaomi rosenthalという女の子、英語めちゃ聞き取りやすい)、これは思いどおりの人生を生きるためのメソッド、みたいなもので、まあ簡単に言うと、自分にはできると思い込んで生きよう、というもの。思考を現実化させるためにとにかく思い込む。なんでこんなのを聞いてるかというと、やっぱり私は自分に自信がないからで、でも思いどおりに生きたい。だからその方法をいつも探っていて、これがその一つ。本当に落ち込んでる時は、こんなの聞いても、そんなわけ、ってなるけど、ずっと聞いてると、あれ、いけるのでは?ってなる笑。一種の洗脳なのかもしれないけど、自分にできるって言い聞かせることってすごく大事で、ガイも自分は世界を救えるかも、って信じ始めた時に行動が変わっていった。できる、って思うことって絶対必要。怖いけどね、でも思ってたほうが絶対強い。





皆それぞれ自分の人生の主人公で、そうやって思って生きていい。私なんて、ってまだまだ思っちゃうけど、本音はやっぱり輝きたくて、まだ何かやれるって信じてたい。傍観者として生きるのではなく、自分の中心に、自分として生きてたい。今までだとこういうことを口にすることすら怖かったけど、この映画が自由に生きる許可を私に与えてくれた気がします。強く賢く美しく輝きたい、輝く、






(今日のタイトル: nightmares/all time low)



(最近めっちゃall time lowブーム、2015年以降のアルバムちゃんと聴いてなかったけど全部めちゃくちゃいい)