人と話すと、自分のことがよくわかる。特に、自分と違うタイプの人と話すとなおさら。自分が何が好きで、何を大切にしてるかが、よく見える。
私は多分好きなものがだいぶマニアックだし、こだわった世界の中で生きてるし、もちろんそれを人に押しつけることはしないようにしてるし、他の人ともちろん会話はする、するけど、理解してもらえない嚙み合わないと、あ、世界の見え方が私とは違う人だ、と感じる(それがいいとか悪いとかではなく)。皆そうだと思う、それぞれ好きなものがあって、大切なものがあって、それについて話したりした時に、上手く言葉にできなくても汲み取ってもらえること、逆に何それ意味わかんないと切り捨てられること。別に全員にわかってもらおうとは思わないんだけど、私は自分の中のこだわり、が、自分を占めてる率が高いので、その感覚?が相手に通じないと、難しいなと最近は思う、少なくとも本当の意味での会話はできないんだろうなと思う。人をはねのけてるとかじゃないですよ、ただ話した時の違和感、に遭遇するとすごく悲しくなる。
私は映画や音楽が好きで、英語が好きで、趣味でしていたことが、今は仕事にできてるけど、この前、年上のお友達にも言われた、「多分ね、合う人はどこかにはいると思うけど、そうやって人生にこだわりがある人って少数だとは思う」、って、わかるの、めちゃくちゃわかるの、もちろん自分を理解してくれる人もいるけど、その感覚?すらわかってもらえないことも多くあって、なんだかなあ、となる。映画が好き音楽が好き、そういう人はいっぱいいるし、でもその度合い?ってやっぱり違って、私は入れ込んでるしそれが人生になってるし、仕事になってるし、そこの感覚、をねー、分かられたい笑、ってめちゃくちゃ思う。ありのまま?でいると理解されないこと多くて、違う人のフリしてた方が生きやすいというか馴染みやすいんだろうなとかたまに思うけど、でもこれが私やしなあ、と思うし、これでいいんだよなー、green dayのminorityが頭で流れるな、群れから外れて歩いてる、このやり方しか知らない、って、こんな歌詞あったよね。いまだにこの世界の生き方がわからない、
翻訳の仕事は、何時間もぶっ続けでやったらできる、ってものじゃなくて(もちろんそういう作業もあるけど)、毎日毎時間それについて考えてたらある時いい言葉が浮かぶ、ってことが多い。だからそのことが常に頭にある状態で生きてる、そして私はそれが全く苦痛じゃなくて、それが楽しくて、それが通常。四六時中仕事してるわけじゃなくても、自分の中でモード?があって、パソコンに向かってなくても頭の中がめちゃくちゃ頑張ってたりする笑、そういう毎日送ってるから、その感覚、を理解してもらえるかしてもらえないか、って人間関係築くうえで重要、私の中で。噛み合わない、ことが結構ある、そんなもんかな(どうでもいいけど、今辻村深月さんの「嚙みあわない会話と、ある過去について」を読んでる)。でもまあ書いてて自分で面倒だな、って思った、でも無理に友達作ろうとか思わないし、わかってくれる人とだけ付き合っていけばいいよね、1人にでも分かられて生きてたいし、分かられてるんだな、って思って安心して生きたい、じゃないと悲しすぎる
あ、翻訳ソフト起動しました、思った以上に面倒なことになってたけど何とか解決して、開けたときうれしすぎて泣いた笑、マイベイビー!!!ってなった(?)。よかったです、surfaceとも仲良くなりつつあって、これはsurfaceから打ってます、大事に使う。「フリーガイ」ももう一回見直してるし、面白いし、それについて書きたいこともまた浮かんでるから、観終わったら書きます、11月は更新量増やしたい、
(今日のタイトル: weightless/all time low)
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