11/4は、「いい推しの日」だったらしいけど、この「推し」という言葉について最近考えてた。
私自身あまりこの言葉を使っていないと思う、その理由として、なんとなく軽く聞こえるというのが個人的にあって、でもある対象を「推し」と呼びたくなる感覚もものすごく分かる。という矛盾した気持ちなんですが。私と同じような人いないかなと思って調べまくってたんだけど笑、見つけました、リンク貼ります。
この記事にあったのが、“推しという言葉が自分にフィットしない”、という文章。これだな、と思った。フィットしない。流行り言葉なんか使わないっていう馬鹿真面目なスタンスでいるわけじゃない、ただフィットしない。たまには言うよ、でも冗談ぽく使うことが多い、「まあだって推しやけんね、笑」みたいなニュアンス(?)。でも本気で何かを語ろうと思った時にはこの言葉は合わない、Avrilを?推しと?呼ぶ?おこがましいぜ?、と感じてしまう、私はね。私がアイドルを好きだったらまたこの言葉の感覚が変わったのかな(元々アイドルに使われてた言葉だよね?)、あらゆる人/ものに対して今この言葉が使われてて、なんか違和感のようなものを感じてしまう。
宇佐見りんさんの「推し、燃ゆ」で使われてる推しという言葉はすごく好きだったんだけどね。あれは言葉が重かったからかな(彼女は推しを背骨に言い換える)、文脈なんかな結局。でも本当に何なんだろうね?推しって、何ですか?推しとは。好きすぎる人って、私ちょっと怖いんだよね、畏怖の念、というのかな、大好きだけどちょっと怖い。だから推し、という言葉で一括りにするのも申し訳ないというか、できない。見たいけど見てはいけない、会いたいけど会ってはいけない、みたいな、伝わるかな笑。だから私は今Avrilのライブがものすごく楽しみだけど、怖くもあるのです。見てはいけない会ってはいけないと思いながら、Avrilが日本にいるのに会いに行かないなんて耐えられないから3公演も行くのですが笑。矛盾なのよ、全部、この気持ちが。そんな気持ちにさせてくれる推し尊い~なんて言葉では締めませんよ、クリープハイプの「社会の窓」って曲に、私のこの気持ちは絶対シングルカットさせないし、って歌詞があるんだけど、私はいつもそれを感じながら生きてる笑、だからブログに長々書いてるんですよね、これは1曲分の長さじゃなくて、アルバム最低1枚分にはなるでしょ、1曲だけ切り取ってシングルカットはさせない、
とまあAvrilとYUNGBLUDの新曲を聴いて来日前に思いが爆発したので綴りました、久々にエモーショナルな曲だったな、YUNGBLUDがいるからこその歌詞、でよかった。under my skin vibes感じたな、MVもnobody’s homeぽかったし。ライブで歌う?って質問にWe'll see itっていう答えを返してたから期待はしたい!ブリッジで泣き崩れる図しか浮かばない。なんてほらね、ちょっとふざけたことを言いたくなる気持ちもあるの(これは多分“推し尊い”のノリ)、でもやっぱり類は友を呼ぶで、一緒にライブに行く子、誰もAvrilのこと推しって呼んでなくて、きっと同じような気持ちなんだろうなあと勝手に思ってます。悪いわけじゃないのよ推しって言葉がね、でもただ違和感的なものを私は感じていますという話でした。そう考えると私は推しと呼べる人がいないかもしれない。推し、じゃなくて、好き、じゃダメですか、
(今日のタイトル: i'm a mess/Avril Lavigne with YUNGBLUD)
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