there's something 'bout her stare that makes you nervous


本当の自分探しに決着がついたかもしれない。多分結局どれも自分は自分で、こうなりたいって思えば演じても良いんだと思う。ありのまま論を崩すわけじゃなくて、取り繕ってる時って自分で気持ち悪いと思うから、気持ち悪くさえなければ、どんな自分でいるのもきっとアリなんだ。久々に「嫌われる勇気」をまた読んでるけど、“人はただ自分が正しいと思うことをすれば良い、その結果相手がどう思うかは相手の課題。”って書いてて、改めて勇気をもらえた。相手の感情まではコントロールできないから、とにかく自分がやりたいようにやるべきことに全力を尽くす、あとはもう相手にお任せ。イギリス行けなくなったの残念だけど、イギリスに行かなくても今いる場所で自分として楽しく気持ちよく生きる努力をしないとダメだ、やっぱりどこか自分を変えたいみたいな気持ちがある、海外行く時って。でもどこ行っても変わんないんだよ今できなければ。私いつも考えてることちゃんとあるのに、無難な言葉を選んでしまう、相手を傷つけないように、とか、変って思われないように、とか、そういうことを考えた結果テンプレートなことしか言えない。それがすごく気持ち悪くて、それこそ自分じゃない。私こんなんじゃないんだけど、ってよくなる。よくこんなの続けて生きてきたなって思う笑、でも多分私みたいな人多いと思う。それをいい加減やめたくて、最近は意識してる。上手く感情を乗せて話すとか表情を豊かにするとか、それにはやっぱ練習しかなくて、1人でできる練習法としては歌歌ったり映画とかドラマの台詞を真似して読んだりするのが良いらしい。私の夢って、多分生き生きとして生きることなんだよね笑、洋画とかが好きなのって、もちろん映画そのものが好きなのはあるけど、何よりそれに出てる人みたいに生きたい気持ちが強いんだと思う、ティーン映画が好きなのは絶対にそれ、それが私の一番の夢なんじゃないかなって最近思った。もちろん翻訳の仕事は夢だしもっと頑張りたいけど、いくら大きな仕事を今後できるようになったとしても、自分の理想とする自分になれてなかったら一生満足できないと思う、こんな仕事してるんです~って自慢?することでしか自分を表現できない人間になりそう、怖い、絶対いやだ。元々の性格とか、小さい頃の環境とか、いろんな要因で怯えた人間ができあがってしまってると思うんだけど、カルマは自分でぶち壊すしかないし、「ミーンガールズ」のレジーナのように(意地悪はだめだけど)、自分に居心地よく生きたい。塾の仕事はその良い訓練になってて、正直授業だけちゃんとすればいいし、一番求められてるのはそこだし、全ては成績とかで判断されるけど、最近はコミュニケーションをなるべく取るようにしてる、遠慮して何も言ってこない子とかもいるから自分から話しかけに行ったり。しょうもないことかもしれないけど、これ私みたいな人間からするとだいぶエネルギー使うんだよね笑、子どもだからとか関係なく、誰かに自分から話しかけに行くって行為が。でも“自分が理想とする自分”は、そういうことを普通にやっちゃう人だから、そこに近づけるように毎日ほんの少し頑張るようにしてる。人間に慣れたい。話すのはできるんだよ、ただ無難なことしか言えなかったりやれなかったりするからそれがいやなの笑、ちゃんと考えてるのに!でも毎日やってると結構慣れてきて、あれ何て言うのかな、フィストバンプ?拳と拳を突き合わせる握手的な行為、前まで絶対そういうのできなかったし、自分のキャラじゃないし、とかいう謎の理由を作り上げてたけど、勇気出して?拳出したら皆ちゃんと返してくれるからめっちゃ良いじゃんってなった笑、受験頑張ってね、とかいう意味でやってる最近。こういうこと皆普通にできる?私本当にできなかったの、人に触れる?のも怖いし、慎重なのはいいのかもしれないけど、ずっと壁を隔てたまま人と話してる感覚が拭えなかったから、それを崩す第一歩です、くだらないけど、私からしたらすごく大きな一歩。まあまだまだびびってるから、今日も演じて/勇気出してにこにこでやってこようかなと思います。おとなしい自分も自分だけど、皆と臆せず話す自分もきっと自分だし、それが欲しければ求めたい。よくわかんない話だったかもしれないけどごめんなさい、私はきっと少しずつ良い自分になってる。びびるな、




(今日のタイトル: if you're too shy(let me know)/the 1975)