「どうしても生きてる」

朝井リョウさんの「どうしても生きてる」、読み終わりました。


ものすごくエネルギーを消費する一冊だった。疲れるから1日1話が限界だった。



なんだろう、日々考えていること、社会に対して人生に対して思うこと、でも上手く言えないこと、が全て言語化されていて、そうだ、私が考えているのはこういうことだ、と気づけた爽快感と同時に、何もかもを見透かされて言い当てられたような不快感、を感じた。








全部で6話入っているんだけど、どれも「どうしても生きなきゃいけない」状況にいる人が主人公。



自殺者のTwitterアカウントを特定していつもちょっと死にたい自分を肯定する「健やかな論理」


リアル、熱、切実さ、本音、嘘のなさを追い続けたはずが、いつの間にかどこに向かって立てばいいか分からなくなった「流転」


毎日アップされるくだらないYouTuberの動画を観ることで命を引き伸ばされる「七分二十四秒めへ」


考えることは半径5メートル以内にたくさんあるのにいつももっと大きな何かを考えないといけないと強いられる「風が吹いたとて」


どんな状況でも大丈夫だと言い続けていた上司がSM動画の中だけでは痛い痛い大丈夫じゃないと泣き叫ぶ「そんなの痛いに決まってる」


人生のハズレ籤(くじ)を引き続け、自分はこんな目に合うはずじゃなかったのに、と思う「籤」




自分と全く同じ状況ではなくても、あ、これ分かる、という感覚が全部の話に詰まってた。すごい。すごい、という感想しか出ない。











書籍化されてる朝井さんの本は全部読んでるけど、内容のレベルアップ具合が恐ろしい。こんなこと書くと偉そうだけど、でも「桐島、部活やめるってよ」では高校が舞台でそれから青春小説みたいなものが多かったのに、今じゃ生きなきゃいけない人生、を書いてるんだよ、恐ろしいよ、、「こいついつまでも青春ものばっか書きやがって」、と言わせない感じ。


でもどんなものを書いても、とにかく視点が怖い。皆が思ってるけど言えないこと、をぶった斬ったような表現で書く。例えば「七分二十四秒めへ」ではYouTuberの動画を観ると脳が溶けて偏差値が音を立てて落ちていく気がする、って書くとか。でもそんなくだらないものがちょうどいいと感じる瞬間が人生にはある、それしか受け付けられない時もあるんだ、っていう。分かる、ってなりませんか。そういう言い表しにくい気持ちを上手いこと書いている。年齢も1つ上だから感覚的なものが似ているのもあるのかな、SNSとかもよく小説内に登場するし、私たちの年齢だからこそ響くものも多い気がする。




私は偏った作家さんの本しか読んでないから、たくさん読んでる人からしたら違うよって言われるかもしれないけど、朝井さんの文章は誰よりも苦しくなる。好きなんだけど、この人何でこんなことまで言葉にできるの、っていうある種の嫉妬みたいなものを感じてしまうくらい表現の仕方が綺麗。比喩も上手いし、あとは名詞の羅列がめちゃくちゃ上手い。


ルールを破ること。

あなたが嫌悪していたこと。

修学旅行に、禁止されている携帯電話を持ち込むこと。

試合に勝つために、相手のユニフォームを思いっきり鷲掴みにすること。

ハウスクリーニングの既成事実を作るために起きた爆発。

オーケー屋のミラクルフレッシュ。

レッツクリーニングのスーツ洗いのキャンペーン。



こういうの。名詞を並べることでちょっとずつ本当に言いたいことに近づいていくこの感じ。大好きなんだよね、、朝井さんの書く話には基本毎回出てくる技法。これ見ると朝井節がきたー、ってなる。ゾクゾクします。怖くなる。朝井さんの本は面白い、けど怖い。全部バレてる気がするから。ある意味ホラーだと思ってる。










ここ最近、よく何で生きてるんだろうな、とか考えるし、痛い思いせずにスイッチ一つで人生終えられるなら押すだろうな、って思うこともあるけど、でも生きなくちゃいけないこと。自分の手で人生を終えられないなら、生きなくちゃいけない。それがものすごく辛いと感じることもあるけど、でも多分そんな感情も含めてきっと大丈夫なこと。はっきりした光じゃないけど、ぼんやりとした明かりは、この本が与えてくれた気がします。

生きるのが辛い人、人生の不条理さを感じている人にぜひ読んでほしい一冊。




あ、そう、タイトルの「生きてる」、って文法上は間違ってるんだよね、パソコンのwordとかで打つと赤線引かれると思う。正しくは「生きている」なんだけど、そこを「生きてる」ってすることで妙なカジュアルさが出るというか、私らって「生きてる」って感じじゃないですか、「生きている」ではない気がする。そんなしっかり人生の意味なんてわかんないし、でもとりあえず生きてるよー、みたいな。この感じ。このニュアンス。センスだな、、震える。










最後にそれぞれの話の好きな箇所を抜粋して終わります。好きな文章ありすぎた、、






初めて死亡者のアカウントを特定できたときに感じたのは、自分でも驚くくらいの安心感だった。人がいなくなることに前触れなんて何もない、という、健やかさからかけ離れた論理を視覚的に実感できたとき、いつだってずっと少しだけ死にたいような自分に暖かい毛布を被せてもらえたような気持ちになった。

「健やかな論理」







自分は一体、何を目の前にすれば、この後ろめたさを拭えるのだろうか。(中略)自分は一体、どこに向かって立てば、生きることに対して後ろめたくなくいられるのだろうか。

「流転」






いつしか代里子は、毎日正午にアップされる動画を心待ちにするようになっていた。集中力が持続しない若い視聴者に向けて整えられた、たった七、八分の動画。何のためにもならない動画。だけどそれを観られる昼休憩の時間が、自分の命を二十四時間ずつ必死に延ばしてくれる、最後のてのひらのような気がした。

「七分二十四秒めへ」






私は、スマホを持ち込むことも誰かのユニフォームを鷲掴むこともしない。だけど、何もしないということで、誰かが破ったルールの上を、快適に歩いている。

それがいけないことだなんて知ってる、気づいてる。でも、考えなければならないことでぎゅうぎゅうづめの明日が、すぐ目の前に迫っている。

「風が吹いたとて」







<俺結構いろんな風俗行ってきたつもりだったけど、痛いのだけはどうしても気持ちよく感じられないんだよな>

吉川さんは、痛いことが気持ちいいわけじゃないんだよ、多分。

痛いときに痛いって大きな声で言えることが、気持ちいいんだよ。

痛いときに痛いって、限界のときにもう限界だって、もう無理だって大きな声で言っても驚かない相手がひとりでもいる空間に、いたかったんだよ。

「そんなの痛いに決まってる」







この世の中には、二種類の人間がいる。生きる世界が変わってしまったとき、自分を変えなくていい人。その人のせいで、自分を変えなければならなくなる人。そしてそれはきっと、知らないうちに知らないところで、決められてしまっている。

二分の一。確率は五十パーセント。生まれる前に行われる籤引き。

「籤」







:)