if you cut the cord, I don’t know what I’d do, don’t wanna skydive without my parachute


when i feel shitty about basically everything about myself,

Stan is the master of zero f**ks.

私は何にでもキレるけど

彼はいつも悩みゼロ




「ノットオーケー」の中にあるライン、master of zero f**ksって表現が好きすぎるんだけど、スタンはmasterらしい、私もそうなりたい。今日は何だか絡まった毛糸が喉に詰まった感覚がある、でも放っておけば解けるか、溶ける、きっと、




昨日と今日、友達と別府の温泉に行ってた、大きなホテルとかじゃなくて、温泉が一つずつついた家みたいなとこ(語彙力)に泊まったから、誰にも会わずに過ごした感じ。友達がGoPro持ってるから、それで録画しながら話してたんだけど見返すとめちゃくちゃ面白いから、一部切り取ってブログに載せよと思ったんに、これ外部ツール通してでしか動画載せられんぽい、youtubeとか。カメラロールから普通に落としたかった、なんか私客観的?に自分を見るのがすっごい苦手で、それを克服するためってわけじゃないんやけど、録画した笑。いつも思う、自分が見る自分と、鏡に映る自分と、写真や動画に写る自分、全部違う気がするの、こういうのを解決?するためには、何を学んだらいいんですか?捉え方的な意味では心理学ですか?見え方に関しては、鏡とか写真とかは光の屈折みたいなのが関係してきて科学みたいな分野になるんですか?分からん、けどこういうのまじで悩みというか疑問、やし怖い。前の記事で自分がどう見られてるか、ということに気持ちを左右されることが減った、って書いたけど、単純にどう見えてるのか知りたい、人の目通して自分見てみたい、そういうの思うってことはやっぱりまだ人の評価を気にしてるのかもしれないな、全然masterになれん、




あ、昨日、友達と話してて気づいた、私前まであることについて話してても一番奥にある考えっていうのを、人に見せるのがすっごい苦手だったの、だから表面的な部分しか話せなかったんだけど、最近一番下の層まで見せられるようになってきた気がする、少しだけ。本当に、少しだけ。こんなとこに書くのと、人に口で伝えるのとじゃ、全然違う、難しいよ、でも言わなきゃ理解してもらえないし、どうにか頑張ってる。言わなくても読み取ってくれ~ってよく思っちゃうけど、第六感がある人なんかほとんどいないし、下手したらゼロかもしれないし、読みも外れるかもしれない、だから言うしかない、んだよね~、苦手、可能なら文章で全て済ませたい。でも深い話、を人とするのは好き、一対一に限るけど、大人数苦手だから。何考えてるかとか知りたいし、一つのこと掘り下げて話とかしたい、知りたいし、知ってほしい、エゴかも。でも例えば一つの映画についてめちゃくちゃ考えてる人って多くなくて、だから何で考えないのかなとはよく思ってしまう、ずれてるのは私か、世間か、なんて「ジョーカー」の宣伝文句のような言葉がしょっちゅう頭を行ったり来たり、している、週に4日は。でもこんなこと書いておいて何の信用もないと思うけど、悩む時間は減った、というか思い悩んだ時に深い場所に落ちることが減った、前が10メートルの穴に落ちてたとしたら、今は2メートルくらい。今年は目に見えたことは何もしてないけど、私の中では色々変化した、友達に「今年何した?」って聞かれて、何もしてなーい、って答えたけど、してないからこそ変わったのかもしれない、そう思えば今年も悪くなかったかもね、



悩みゼロにはなれないだろうけど、無、を味方にする(?)というか、一喜一憂しない、とか、精神的なmasterに近づけるように、スタンを見習います、ノットオーケーの台詞書くのは順調です




写真はまた載せる、かも



:)