「どう行動するかより何を考えているかのほうが、真実や現実に近いことがある。人は好きなことが言えるし、好きなように行動ができるが、考えはごまかせない」
だれでもなんでも考えられる。思考こそが唯一の現実。それは真実だ。わたしは今ではそう確信している。考えはごまかせないし、嘘をつけない。この単純な気づきは、その後もずっとわたしの心に残った。何年もわたしを悩ませつづけた。現在にいたるまで。
「あなたは善い人間、それとも悪い人間?」
何より怖いのは、その答えがわからないことだ。
「人間がすべての答えを知らなくて、全部が解明できてなくてよかった。宇宙のようにね。たぶん人間は全部の答えを知るようにはなってないのよ。疑問はいいこと。答えよりも。生についてもっと知りたいとか、わたしたちがどう機能して、どう進んでいくか知りたければ、大事なのは疑問でしょう。それがわたしたちの知性を押し広げる。疑問があるおかげで、わたしたちは自分はひとりじゃない、人とつながっているという思いをつながっているという思いを強くすることができるんだと思う。知ることだけが大事なんじゃない。知らないこともいいことだとわたしは思う。知らないことは人間的でしょう。宇宙もそうだけど物事はそれでいいのよ。解明不可能で、暗黒」
わたしが望んでいるのは、自分をだれかに知ってもらうことなのだと思う。本当によく知ること。ほかのだれよりも、もしかしたら、わたし本人よりもわたしをよく知ること。わたしたちが人と真剣な関係を結ぶのは、それが理由なのでは?セックスのためじゃない。セックスのためなら、ひとりと結婚したりしない。新しい相手を求めつづけるはずだ。真剣な関係を結ぶのにはいろんな理由があるだろうけど、考えれば考えるほど、長いスパンの関係というのは他人を知るためのものではないかと思えてくる。わたしはだれかに自分を知ってもらいたい。わたしの考えのなかに入り込むくらい、本当に知ってもらいたい。それはどんな気分だろう。自分以外の人の頭に入り込めて、中身がどんなか知るというのは。だれかに頼り、頼られるというのは。そのつながりは、親子の絆みたいな生物学的なものとはちがう。選んだうえでの関係だ。生物学や遺伝的共有に基づく関係よりも、何かもっとすばらしくて得がたいもののはずだ。
そういうことなんだと思う。そういうとき、この関係は本物だとわかるんだろう。以前はつながりのなかった相手が、そんなことはできないし無理だと思っていたくらいに自分を知ってくれるとき。
気に入った。
「もう終わりにしよう。」/イアン・リード
:)
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