one spoon for two and trading jackets


関東生活終了、
妹の新しい家に荷物を運び入れたことが随分前のことに思えるのは、毎日が濃かったからか、単純に非日常でふわふわしていたからか、相対性理論で説けそうだったけど、難しくて調べるのをやめた。



ひたすら片付けをして、お酒を飲みながら大量の本を並べた、妹が仕事に行ってる間に家具やチャリの受け取りをして、家事をした。誰かのためにご飯を作るということはやる気が出るというか、責任重大、ご飯と洗濯と掃除くらいしかしてないけど、それだけなのに人をちゃんと生かしてる?感じがして不思議だった、役に立ってよかった。




ちょいちょい用事があったので、私が完全に何もなかったのはラスト3日間だけなんだけど、その頃からようやく楽しくなってきた笑、1週間もしないで帰ってたら楽しさ分からんかったかもしれんからよかった、好きな場所が増えた。







ご飯の材料を買いに1人で行ってたスーパーとか、家の周りの道とか、10日間ちょっとしかいなかったけど、それすら恋しくなるんだから不思議だね、人間の感覚?が愛着に変わり始めるのっていつからなんだろう、私がいなくなった家で妹はどう過ごすんだろう、とか考えると寂しくなるけど、まあまた滞在すればいいし、2人で住み続けるには狭いけど。でも人間その気になればいつでも逃亡できるしな?って話を妹としたし(笑)、どこでも行って生きればいいのよ、呼ばれたら行く、呼ばれなくても行きたい、関東でも自分がやっていけることがわかったのでそれは個人的収穫ではあった。





楽しかった、死ぬほど笑ったし、ほんと息できんくらい毎日笑ってた、寝る前電気消してからが一番面白いよな(私らだけかな笑)、誰かに必要とされるのは良いことだ、それがよくわかった。一回、両親とビデオ通話したけど、私ら2人の顔を見て本当に嬉しそうだったし、私は良い家に育ったな、というのも確認できた、だいぶ過保護で育てられたけど、愛されておる、両親に、もちろん妹にも、幸せな人間だね私は。


昨日「ノマドランド」を観たけど、その中の台詞で、私はホームレスではなくハウスレスなだけ、って言葉があったの、homeはいつも心の中にあるもの、建物としての家(house)、はなかったり離れてても、心さえあれば、








妹置いて帰りたくなかったけど、とりあえず帰ってやることも待ってるので、明日からはそれをこなします。泣ける文章なら死ぬほど書けるけど、悲しくなりたくないので、前向きに終わります。ちなみに今、下降し始めた飛行機の中でメモ帳にこれ打ってるんだけど、北九州天気悪いぽくてめっちゃ機体揺れてて泣きたい笑、これを投稿できてたら無事だと判断してください





(今日のタイトル: deja vu/Olivia Rodrigo)



:)