what doesn't destroy you leaves you broken instead



多様性、という言葉が生んだものの一つに、おめでたさ、があると感じています。
自分と違う存在を認めよう。他人と違う自分でも胸を張ろう。自分らしさに対して堂々としていよう。生まれ持ったものでジャッジされるなんておかしい。
清々しいほどのおめでたさでキラキラしている言葉です。これらは結局、マイノリティの中のマジョリティにしか当てはまらない言葉であり、話者が想像しうる“自分と違う”にしか向けられていない言葉です。
想像を絶するほど理解しがたい、直視できないほど嫌悪感を抱き距離を置きたいと感じるものには、しっかり蓋をする。そんな人たちがよく使う言葉たちです。

(P6)








始まりから嫌な感じがした、見ないフリをしている問題がまた朝井リョウさんによって晒される、「何者」を読んだ時のような背中を蹴られる衝撃をまた味わう、と思った。でも衝撃はそれ以上で、心をナイフで刺されたような痛みと、絶望と、でも希望、も味わった。







この本のテーマは「多様性」。昨今よく聞く言葉。素敵な言葉、というイメージを持つ人が多いと思う、私もそうでした。家庭や子どもを持たない人生、や、同性婚、幸せには色々な形があるよね、皆でそれを認めよう、常識は変わった、時代はアップデートしてる、だから自由に生きよう。そんな感覚が今多くの人の中にあると思う。


でも、私たちってそういう人たちを「認めてあげている」側に立っていませんか。自分は「まとも」で「安全」な岸にいて、自分と「違う」人を「認めてあげている」。その上から目線と傲慢さに、まず朝井さんはメスを入れました。ここで私は流血。







傷はそれだけでは済まない。この本のタイトルは「正欲」、読みは「せいよく」です。人間の三大欲求、食欲、睡眠欲、そして性欲。食欲と睡眠欲に関しては、皆それぞれ色々好きな食べ物があるよね、何時間寝たって自由だよね、そんな感じで他人に対して特別批判的な目を向けることってあまりないと思う。でもじゃあ性欲はどうか。小児性愛者は認められていない、変わったフェチを持つ人は気持ち悪いと言われる。多様性を謳ってた人が一気に人を弾く、それが性欲の枠。







この本に出てくるのは、「水フェチ」の人。水に対して性的欲求を持つ人。蛇口の形や、水の噴き出し方に興奮する人。


これを読んでどう思いましたか、「何それきもい」って思いましたか、「理解できない」って思いましたか、そういうことなんです、多くの人は自分が理解できないものは認めてない、多様性素敵!といいながらも、自分の理解の範疇にあるものしか認めてない。マイノリティにすらなれない人がいることを考えない。私もそう、そのことに気づかされた。







(以下本文引用)


「自分はあくまで理解する側だって思ってる奴らが一番嫌いだ」

「お前らが上機嫌でやってるのは、こういうことだよ」

「どんな人間だって自由に生きられる世界を!ただしマジでヤバイ奴は除く」

「差別はダメ!でも小児性愛者や凶悪犯は隔離されてほしいし倫理的にアウトな言動をした人も社会的に消えるべき」

(P339)









この本のもう一つのテーマが「繋がり」。多様性と同じように使われてる言葉だと思う。これもきっとポジティブなイメージのある言葉ですよね。でもこの本では皆が想像するような意味とはちょっと違う、多様性を認めて繋がろう、ではない。認められていない者同士で繋がるしかない、という意味で使われている。(本の帯も「生き延びるために、手を組みませんか。」という言葉)





(以下本文引用)


本当に繋がりたい相手とは、あんな場所で堂々と手を挙げて存在を確認し合えるような人ではない。誰にも見られていない場所で、こっそり落ち合うしかない誰かなのだ。

(P295)








同性に恋愛感情を持つこと、は今認められているマイノリティという枠で一番大きい部分を占めてるものだと思う。でも、人ではないもの、に性的欲求を持つ人がいるってことは多様性の中に入ってない。その人たちも生まれた時からそういう感情を持っているのに、マイノリティにすらなれない。そんなことあるわけないじゃん、物に興奮する人なんかいない、っていう「常識」的感覚が多くの人の中にあるから。私もこの本を読むまで、全く想像していなかった。ラブホテルが街中にあるのは、その欲は社会的に認められているから。それは「正欲(正しい欲)」ですか、水道に興奮するのは正しい欲ではないですか、正しい欲って何だろう。




(以下本文引用)


「異性の性器に性的な関心があるのは、どうして自然なことなんですか」

「いいですよね、誰にも説明する必要がない人生って」

「いいですよね、どうにかして生き延びるために選んだ道を、そんなの現実的に有り得ないって断罪されないって」

「児童より玩具に興奮してたとして、それが現実的かどうかって、あなたが決めることなんですね」

「私たちも現実を生きてるんですけどね」

(P373)









多様性、という言葉を使って、他者を理解した気になっていたこと。自分がまともな岸に立って、無意識に人をジャッジし続けていたこと。多様性という言葉に切り刻まれながら生きている人がいること。もう読む前の自分には戻れない、っていうのがこの本のキャッチコピーだったけど、本当にまるっきり世界の見え方が変わってしまった。手放しでオススメできる本ではないと思う、自分を省みることになる人がほとんどだと思うし、結構きつい。でもおめでたい言葉がそこら中にある日本に、この本が出版されたこと、そこに意味があると思うので、興味のある人は読んでほしい。


朝井リョウさん、恐ろしい、何見て何考えて毎日生きてるんだろう








(以下本文引用)


この人生はもう、どうにもならない。

だって、努力のしようもないのだ。あのドラマのキャラクターが言うように勇気を振り絞ってみたところで、あのドラマのプロデューサーが言うように自分に正直になってみたところで、あのコメント欄に集まるような人間は世間に眉を顰められるだけだ。水に興奮します。窒息に、風船に、ミイラのような拘束に、小さな子どもが電気あんまで悶えている姿に興奮します。あのコメント欄には、他にも色んな性癖の人が集っている。特殊性癖である夏月にさえ想像できないような人がそこには沢山いる。


多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ。

(P188)




「正欲」/朝井リョウ(新潮社)






(今日のタイトル: drown/Bring Me the Horizon)